AIで便利になる時代だからこそ、私たちの「心地よいバランス」を考える
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こんにちは、Lenz の神守です。
最近は、日々の実務の中で生成AI(人工知能)を活用する機会が本当に増えました。
プログラムのコードを書くスピードや質が上がり、これまでは時間がかかっていた作業がスムーズに終わるようになるなど、自分自身のスキルの幅が広がっていくのを肌で感じています。
テクノロジーの恩恵を大きく受けている一方で、ある日の夜、ふとデスクに向かいながら考えさせられることがありました。
これだけ道具が便利になって、いろいろな作業が効率化されているはずなのに、どうして私たちは今も変わらず、夜遅くまで忙しく働き続けているのだろうか
便利さを手に入れたはずなのに、日々の時間的なゆとりがそれほど増えていないように感じられるのは、一体なぜなのか。今回は、AI時代の働き方について少し視野を広げ、これからの時代における健やかなライフワークバランスのあり方を、中立的な視点から考えてみたいと思います。
便利さと忙しさが同居する理由:全体的なクオリティの底上げ
新しい道具が登場して自分の作業スピードが上がるということは、同時に、周囲のプレイヤーや社会全体の基準も一様に引き上がること。
仕事のクオリティの「当たり前」のラインが高くなるため、結果として、効率化した分の時間を使って、さらに次の成果や新しいタスクに取り組むことになりがちです。社会の仕組みとして、生産性が向上した分だけ全体の動きも加速していくため、個人の実感として「劇的に楽になった」とは感じにくいのが、現代のひとつの側面なのかもしれません。
これは現代のAIに限った話ではなく、人類の長い歴史を振り返ってみても、同じような現象が繰り返されてきました。
人類史に振り返る、便利さの裏側
歴史的なベストセラーである『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)の中では、人類が「狩猟採集」の生活から「農耕」の生活へと移行した文明の転換期について、興味深い指摘がされています。
かつての人類は、農耕という画期的な仕組みを手に入れたことで、食料の確保が安定し、生活がより豊かで楽になると信じていました。しかしフタを開けてみると、作物を育てるために、狩りをしていた頃よりも多くの労働時間と重労働が必要になり、結果として自由な時間が減ってしまったという側面がデータとして残っているそうです。
もちろん、農耕によって人類は人口を増やし、強固な社会を築くことができたため、これが一概に悪い変化だったわけではありません。ただ、「道具や仕組みが便利になったからといって、必ずしも人間のゆとりや自由な時間に直結するとは限らない」という事実は、現代の私たちにとっても大きなヒントになります。
私自身が生まれてからの数十年間を振り返ってみても、インターネットやスマートフォンの登場によって、昔とは比べものにならないほど、一瞬で大量の情報を手に入れられる便利な世の中になりました。
それにもかかわらず、現代社会を生きる私たちの労働時間や忙しさは、何十年も前から大きく変わっていないように見えます。生産性がこれほど上がった世の中で、私たちが忙しさを手放せない背景には、社会的な構造や、私たちの「心理」が深く関係していると考えられます。
セブ島での暮らしと、環境がもたらしてくれた価値観の変化
私が現在、フィリピンのセブ島を拠点にしている理由のひとつに、「自分にとっての心地よい生き方のバランスを見つけること」があります。
セブ島で生活を始めた当初は、日本のような「いつでも、何でもすぐに手に入る便利さ」がないことに、戸惑うことも少なくありませんでした。大きなショッピングモールへ行っても、お目当ての品物が品切れになっていることは日常茶飯事です。
しかし、この環境で長く暮らしていくうちに、私の内面には少しずつ変化が生まれました。
「たくさんのモノに囲まれていなくても、工夫次第で十分に心地よく生きていける」
そう気づいてからは、過剰な物欲のようなものが自然と落ち着き、自分にとって本当に必要なものだけを丁寧に選ぶ生活が馴染むようになっていきました。
また、過去のパンデミックやロックダウンの時期に、現地の理不尽な医療環境や生活の厳しさを間近で目撃したことも、私の価値観に大きな影響を与えています。社会的なセーフティネットのあり方が日本とは異なる環境の中で、人々が助け合いながら、たくましく、そして明るく生きている姿を見たとき、「本当の幸せや心の豊かさとは何だろうか」と、深く考えさせられたのです。
便利な道具を使いこなし、売上や数字といった目に見える成果を追いかけることは、ビジネスを継続していく上でとても大切な要素です。しかし、それらの「手段」に追われるあまり、自分自身の健康や、生活の心地よさという「目的」が置き去りになってしまっては、本末転倒になってしまいます。
目的と手段をすり替えない:数字や働き方との健康的な距離感
現代のビジネス社会を生きていると、私たちは知らず知らずのうちに、目標金額や数字といった「目に見える指標」を達成することそのものが、生きる目的であるかのように錯覚してしまうことがあります。
目標に向かって一生懸命に努力すること、そしてハードワークによって大きな成果を成し遂げることは、とても尊いことですし、それによって自己実現や大きな喜びを得られる人もたくさんいます。特定の働き方を否定したり、どれかひとつのスタイルだけが正しいと決めつけることはできません。
しかし、もしもその努力が、周囲からの評価や過度なプレッシャーによるもので、自分自身の心や身体をすり減らしているのだとしたら、少しだけ立ち止まってバランスを調整してみる必要があるかもしれません。
本来、お金や貨幣制度、そして今使っているAIなどのテクノロジーは、人間の生活をより豊かで便利にするために、私たちが発明した「道具」です。道具は上手に使いこなすものであり、それらに自分の生活のペースを完全に支配されてしまうのは、少しもったいないことだと感じます。
フィリピンの人々と一緒に仕事をしていて感じるのは、彼らは「仕事」と「家族や友人との個人としての生活」の境界線を、とても明確に、そして大切に扱っているという点です。どれだけ仕事が忙しくても、大切な人のイベントや生活の節目には、そちらを優先する潔さを持っています。
どちらが良い・悪いという二元論ではなく、「自分にとって何が一番大切なのか」という優先順位がはっきりしている姿からは、学ぶべき部分が多くあります。仕事に情熱を注ぐライフスタイルも、生活の丁寧さを重視するライフスタイルも、どちらも個人の自由であり、大切なのは「自分で納得してそのバランスを選択できているか」という点です。
終わりに:ときおり手を止めて、自分の現在地を確認する
生成AIという新しい技術の登場によって、私たちの仕事の風景はこれからも大きく変わっていくでしょう。しかし、どれだけ時代が変化しても、私たちが向き合うべき根本的な課題は変わりません。
- 新しいテクノロジーを、自分の生活を豊かにするための「道具」として上手にコントロールできているか
- 周囲のスピードに流されず、自分にとって健やかなペースを維持できているか
忙しい日々に追われていると、どうしてもこうした大切な視点を見失いがちになります。だからこそ、ときにはパソコンから手を離し、立ち止まって自分の現在地を確認してみることが必要なのだと思います。
私にとっての理想的なバランスとは、自分自身はもちろん、Lenzに関わってくださるメンバーや周囲の人々が、健康で、心穏やかに、それぞれの豊かさを感じながら生きていける状態です。
世の中の便利さが進む今だからこそ、この記事が、皆さんの日々のライフワークバランスや、ご自身にとっての心地よい働き方を見直す、穏やかなきっかけになれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。